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モリー先生との火曜日 小川洋子 藤丸由華 Melodious Library 2017/1/8

小川洋子 藤丸由華

Melodious Library 2017/1/8

明日は成人の日で祝日ですね…

メロディアスライブラリーでも成人の日に合わせて

この作品を選んでみました

ミッチ・アルボムの「モリー先生との火曜日」です

モリー先生との火曜日

ミッチ・アルボムはスポーツコラムニストとしても活躍する

アメリカの作家です

彼は自分の大学時代の恩師であるモリー先生が

難病と言われるALS筋萎縮性側索硬化症に

侵されていることを知り、連絡をとります

モリー先生との火曜日

そこからはじまる最後の授業、モリー先生が死を前に

かつての教え子ミッチに人生で大切なことを伝えていきます

明日は成人の日でもあるので若い方にも

ぜひ読んでいただきたいノンフィクションだと思い、選んでみました

この本は1997年にアメリカに出版されて

世界的ベストセラーになったんですよね…

その後、アメリカのTV映画やオフ・ブロードウェイの舞台

日本でもラジオドラマや舞台でも上演されています

 モリー先生との火曜日

ミッチ・アルボム

ミッチ・アルボムは、1979年にアメリカのマサチューセッツ州にある大学を卒業後

プロのミュージシャンを目指しますが挫折してしまいます

その後、ニューヨークのコロンビア大学でジャーナリズムを学び

スポーツ・コラムニストとして活躍します

全米NO.1のスポーツ・コラムニストに過去13回も選ばれています

モリー先生との火曜日

モリー先生との関わり

「モリー先生との火曜日」の最初の部分に

マサチューセッツ州の大学の卒業式のシーンが描かれています

その卒業式でのモリー先生の様子についてこんな風に描写しています

『小柄でちょこちょこ歩く先生は強い風が吹けば

たちまち雲の上までもって行かれそう

卒業式用のローブをまとったその姿は

さながら聖書に出てくる預言者と

クリスマスの妖精の間の子どもといった趣きだ』

この表現だけで

ミッチがどれだけモリー先生が好きかということが伝わってきます

そしてこのモリー・シュワルツ先生を自分の両親に紹介します

そして先生が「ときどき連絡しくれるね?」と言います

「もちろんですとも」とミッチは答えるのですが

この約束が果たされるには長い時間がかかるんです

これはまぁのちのち出てきます

そしてこのとき先生の目には涙が光っています

こんなにも別れを惜しんでくれる先生がいるなんて

うらやましいなぁと思いました

しかしその後ミッチは連絡をとってないんですね〜

スポーツライターになる…もう毎日毎日仕事仕事…

自分を見失っているような状態なんですね

まぁ働き盛りって、こういうもんですよね〜

人生にはそういう時期もあります

モリー先生との火曜日

偶然の出会い

ところが偶然、卒業から16年経ったある日

テレビにモリー先生が映っているのを見つけるんです

このときモリー先生は

ABCテレビの有名なインタビュー番組に出ています

もうこのとき先生は病に侵されていていて

一日中車椅子で

食事も咳き込むようになって物を噛むのに一仕事

もう二度と歩くことはできない…

そういう状態になっているモリー先生が

この有名なインタビュー番組のテレビの取材を受けている

その中でモリー先生がテレビの中で

「この病気がはじまったとき、私は自分に質問したんだ

他の人と同じように世間から引っ込むつもりか?

それとも生きるつもりか?答えは

こうと思ったとおりに生きよう…

少なくとも生きてみよう…だった

品位を持って

勇気とユーモアと落ち着きを忘れずに…」

先生がそんな風にインタビューに答えている姿を目の当たりにして

ミッチは連絡をとることにするんですね…

モリー先生との火曜日

モリー先生とミッチの交流

難病であるALSに侵されたモリー先生と

かつての教え子ミッチ、二人の交流がまた始まります

16年ぶりに再会したモリー先生の第一声が

「やっと戻ってきてくれたね…」と…

ささやくような声、この口調が

今までの断絶を嘆くわけでもなく

責めるわけでもない…ホントに大きな腕で

教え子を抱きとめるような温かい言葉だなと思います

それに対してミッチの方はちょっと負い目を感じてるんです

自分はもうモリー先生の記憶にあるような良い学生ではない

と心のなかでよく承知していた…と

いうように自分を卑下しています

もう毎日毎日時間が塞がっている

その多くに満ち足りた気持ちはない

と、はっきり自分で言ってますね…

37才で売れっ子ライターとして

仕事は充実しているけども、本当にこれでいいんだろうか?

という迷いが自分にあるということをミッチは

モリー先生と再会することによって、はっきり自覚します

そして、二人の関係が良いなと思うのは

ミッチは先生のことをコーチと呼ぶんです…

『そうだ!私は今でも君のコーチだよ』というふうに答えます

『死ぬっていうのは悲しいことの一つにすぎないんだよ…

不幸な生き方をするのはまた別のことだ』

モリーが少しも自分を哀れんでいない、ということに

この久しぶりの再会からミッチは真正面から

この死が近づいているモリーの生き方にふれて圧倒されるんです!

だからこそ今生きている自分の生き方を問い直すという…

最初っからがっちり四ツに組んだ関係がここに読まれますよね〜

モリー先生との火曜日

毎週火曜日の授業

ここから二人の授業がはじまります

最初の火曜日には「世界を語る」という題名がついてます

モリーは新聞を読んでます

『もうじき死ぬんだから

「この世に何が起こっているか気にすることはない」

とでも思ってるのかな?』

とモリーはミッチに問いかけます

『自分が苦しい思いをしていると

苦しんでいる人が今までになく身近に感じられるんだ…

たとえばボスニアの人が通りを渡ってるときに撃たれて死ぬのを見た

その苦しみが自分のもののように感じられる…

ほとんど吸い寄せられるんだ』というふうに先生は言います

で、ミッチは振り返って

自分は報道の仕事をして、人が死ぬ話も書く

しかし泣いたことはない、本気で泣いたことはない

ところがモリーは地球の反対側にいる人の苦しみに涙を流している

ここでミッチは

「あぁ!死というものは素晴らしい平行器である

見知らぬ者どおしに最後には互いに涙を流させる装置なのかもしれない

つまり死というものを仲立ちにすれば

どんな人とも同じ場所に立って向き合える

相手と自分を完全に重ね合わせて考えることができる

自分もボスニアのどこかのだれかも

いずれ死ぬんだいう意味においてはまったく平等である

重ね合わせることができる

愛は唯一理性的な行為である」という

レバインという賢人の言葉をモリーは引用しています

『死によってその理性的な愛を感じとることができるようになる』

ホントにいきなりミッチは根本的な問題を突きつけられて

それまでそういうことを考える機会も時間もなかったんだけれども

先生との再会によって本当に考えなければいけない問題をみつけた

ということでしょうね…

モリー先生との火曜日

老いの恐怖

もはや自然にテーマが毎週出てきます

「家族について」「老いについて」「お金について」

そして「死について」

一番あぁ〜!なんて素晴らしい発見だろう!!と思ったのは

第7の火曜日に出てくる「老いの恐怖」

というエピソードなんですね…

モリーはね…トイレがひとりで行けなくなるということを

恐れてたんですね…そこのひとつヤマがあるという…

とうとうその時がやってきてしまうんですね〜

でもモリーはね…こういう心境に自分をもっていきます

『他人だよりを楽しむことにしたんだ

赤ん坊に戻るようなもんだ…

人間誰しも何から何まで世話をされていた頃に

また戻りたいものなんだ…無条件の愛…

無条件の心配りを受けていた時期に…』

「僕はモリーの顔をみて突然悟った

僕が体をかがめてマイクの具合をなおしたり

枕をいじったり、目を拭いたりするのを

どうしてこんなに喜ぶのか?

その訳がわかった…人間的な触れ合いだ!

78才のモリーはそれを大人として人に与え

子どもとして人から受け取っていた」

赤ちゃんにおっぱいを飲ませたり

オムツを替えたりするときに

人間がみんな無意識に無条件の優しさを与える…

それと同じものをこうして受け取っているんだ

というモリーのとらえ方、こういう喜びを見いだせる

偉大な人だな〜と思いました

『若い人はみんな知ってほしい

年をとるまいといつも戦ってばかりいると

いつまでも幸せにはなれないよ

所詮、年はとらざるを得ないんだから…』

これは胸に突き刺さる言葉なんですけどね〜!

「若い健康な人たちのことがうらやましくないですか?」と聞くと

『うらやましいことはうらやましい…

しかし、私自身の中に全ての年齢が混じり合っているんだよ

3才の自分、5才の自分、37才の自分、50才の自分というように…

子どもであるのが適当な場合には喜んで子どもになるし

思慮深い老人であるのがいい場合は喜んでそうなる

私は今のこの年までのどんな年齢でもある…

今の君の年代をうらやましがってなんかいられないよ!

前に自分がそうだったんだから…』

なんと素晴らしい発想でしょうか?

モリー先生との火曜日

モリー先生の人物像

モリー先生という人はどんな人物かと思うと

根っからの先生だと思うんですよね!!

「与える人」

自分が何かをなしたいというよりも

自分の知識を、自分の考えを

あるいは死に近づきつつある自分のこの状態を

自分以外の誰かに与えて、そこから学んでもらいたい

何かを感じとって欲しいと願う…

『死が近いと役立たずが同意義でないと証明しようとモリーは懸命だった』

という一行がありますけどね…

今の自分をさらけだして、周りの人たちに何かに与えようとする

とうとうミッチはモリーにこう言います

「先生は、こんな父親がいればいいな、とみんなが思っているような人ですね」

これが究極の形容だと思いますね…

こういうふうに、自分に全てを与えてくれる存在

父親でも先生でもいいんですけど

そういう人がね…人生には必要だなと思います

そしてね…

『死するまで教師たりき』と墓石に掘りたい

と先生は言います…まさに父のように愛を与え続ける人

それがモリー先生の人物像だと思います

モリー先生との火曜日

14の火曜日

いよいよ第14の火曜日が来てしまいます

「さよなら」なんですね…

最後会ったときに

二人の間にもう言葉は必要ないですよね

『君はいい子だ』と先生は言うんですよね

「さよならをどう言ったらいいかわかりません」

とミッチは言うんですけれども

『愛してる、君を』

「僕も愛してます、コーチ」

というとね

『知ってるよ』

もうこれで十分ですよね…

Q、「モリー先生との火曜日」を読み終えて…

もうこの二人の関係がうらやましいですよね〜

ミッチはね、モリー先生によって

自分の人生を問い直すことができましたし

モリー先生にとっても、ミッチの訪問によって

最後まで望みどおりの教師でいられたわけですよ…

人間通しの、ここまで深いつながりを描いた作品

しかも現実ですからね…

人間を信じる気持ちが掘り返されるような

よみがえってくるような素晴らしい作品でしたね!

人生の根本に関わる問題が

シンプルな言葉で語られています

どの問題も決して他人事ではないですね

生きている限り、必ず乗り越えていかなければならない問いかけ

ミッチのおかげで

自分もモリー先生に教えに耳を傾けているような気分になります

色んな立場で色んなメッセージを受け取れる本ではないでしょうか?

モリー先生との火曜日