私の猫たち許してほしい 佐野洋子著 小川洋子 藤丸由華 メロディアスライブラリー 2017/1/15

小川洋子 藤丸由華

Melodious Library 2017/1/15

今日とりあげる本は

佐野洋子さんのエッセイ集

「私の猫たち許してほしい」です

私の猫たち許してほしい 

佐野洋子さんの作品というとまず

「100万回生きたねこ」がうかびます

1977年に出版された絵本ですので今年は40周年!

長年読み継がれ、多くの方に愛されているベストセラーの絵本です

今回は絵本「100万回生きたねこ」の魅力もあらためて感じながら

佐野洋子さんのエッセイ集も味わってみましょう

私の猫たち許してほしい [ 佐野洋子 ]

最初にもお話しましたが

今年は「100万回生きたねこ」出版40周年なんですね

1977年の出版から読み継がれていて

日本を代表する絵本といえるでしょう

今も昔も子どものいるお家には

必ずある一冊じゃないでしょうか?

しかしこの絵本ね…絵本といいながら

この世に生まれて死んでいくとはどういうことか?

という「死」をテーマにした作品でして

子どもはそのあたりどのように理解してるのか?

もしかしたら大人が気づかない何か

言葉がうまくしゃべれない子どもだけが感じ取れる何かが

この絵本には隠されているのかな〜?と感じます

今回取り上げた佐野洋子さんのエッセイ集

「私の猫たち許してほしい」を読むと

佐野洋子さんのどんな思いからこの絵本

「100万回生きたねこ」が誕生したのかも感じることができますね…

たとえば本の題名になっている

「私の猫たち許してほしい」には佐野さんが人生で出会った

さまざまな猫との思い出が出てきます

 

私の猫たち許してほしい [ 佐野洋子 ]

はじめて会った猫、タマ

佐野さんは昭和13年、北京で生まれて

その時はじめて知った猫が「タマ」その猫との出会いが

最初なんですがこの猫は

となりに住んでる子どものいないおばさんの飼い猫だったんです

このおばさんはいつも三味線を弾いてたんです

その三味線の四角い白いところが猫の皮だと

佐野さんは知ってたんでとても気味悪かったんですね

ところがその猫が死んじゃうんですね…タマちゃんが

「ある夕方おばさんは前掛けの中に死んだタマを入れて

大きな声で泣きながらうちの門をはいってきた」

これが子どもの佐野さんの心に深く残るんですね〜

この感覚が素晴らしいと思うんですけど

「私はおばさんがいつまでも泣くのは

子どもがいないからだと思った」と…

猫が死んだからじゃないんだ…子どもがいない

一人暮らしの女性の孤独にこのちっちゃい女の子

佐野さんが思いを寄せてるってことが

なんだかゾクッとするんですけど

結局このおばさんは、かわいい女の子を養女にもらいます

人間の女の子を…

「おばさんはタマのかわりに

女の子をかわいがってるような気がした」

ところがその女の子も死んじゃうんですね…

「私は死んだ猫を抱いて夕焼けの中で

大声を出して泣いているおばさんしか思い出せなかった」

なんという鋭い感性でしょうか?

一匹の死んだ猫を通して

同情とか哀れみとか可哀想とか簡単な言葉で埋められない

もっと残酷で、救いようのない孤独…といっていいんでしょうか?

おばさんの背景は何も描かれてないんですけど

この少女・佐野洋子はね…見通してる感じがあって

ちょっと怖い感じがしますよね…見えすぎてる感じ…

実は猫が嫌いだった!?

その後も佐野さんと猫の関わりは続いていきますが

「実は猫が嫌いだった」

というちょっと衝撃的な告白ですね!

自分で猫を飼おうなんて思っても見なかった

ところが、息子さんが4つくらいになったときに

友だちの家の中をすごく可愛がる

「猫を抱く息子をかわいいと思った…

私の知らない愛を知っている息子に軽いねたみをもった」

このあたりも、微妙なね〜

自分の息子が

自分に抱っこされていることに満足せずに

自分よりさらに小さなものを抱っこして可愛がっている…

自分がちょっと置いてきぼりにされたような気がしたんでしょうか?

軽いねたみを感じたと…

で、そこから猫を飼うようになるんですけど

カワイイ猫とブサイクな猫の2匹を飼うという

エピソードがまた面白いんですね

ブサイクな猫

そのブサイクな猫が

「私みんなわかっています…」という目で私をじっと見ると…

佐野さんはむしろブサイクな猫の方にやさしい声をかける…わざとらしくね

そうすると私をみて「わかっていますよ」とブサイクな猫が言う…という

2年ほどして犬を飼うと

そのブサイクな猫はフッといなくなっちゃうんですね…

なにかやっぱり察して

自分の居場所がなくなったと思ったのか?

「私と息子はいなくなった猫も飼っている…」

猫に対して、自分が抱く感情がこんなに素直に

そして客観的に分析している文章っていうのがね…

やっぱり切れ味が鋭いですよね

こう容赦なく自分を断罪もしますしね!

猫を鏡にして、猫を描写しながら

自分の心を映してるんですよね…

ふつうの人が見て見ぬふりをして通り過ぎる

自分でも気付いているけど

なかったことにしたいちょっと心の暗闇の部分…

そこをね、佐野さんという人は

どうしても無視できない人なんでしょうね〜

ある意味正直な人だな…と思いました

 嘘話を…

「私の猫たち許してほしい」の中に収められている

『嘘話を…』というエッセイは

なぜ子どもの絵本を描くのか、というね…

佐野さんにしては珍しい直球の一文ではじまります

『多分それは私の欠陥のためかもしれない

あらゆることが自分の子ども時代にかえっていく

私は客観的な大人として子どもを観察し、理解し

子どもに語りかけているのではない

私はあくことなく

自分の中の子ども時代の私に向かって語りかけている』

佐野さんにとって

こういうふうに絵本を描くようにになった根源に

死んだお兄さんの思い出があるってことがわかります

お兄さんの思い出

子どものまま、早くして死んでしまったお兄さん

そのお兄さんが夢中で絵を描いていた姿が

お兄さんが死んでしまったために

完全なものになって永久保存してしまったんですね

死とひきかえに…

『何より絵を描くということが

本来は兄のようなある人にだけ許されることなのだ

という幻想は、打ち消し難かった

だからこそ自分自身は

ただの人として絵を描き続けるしかない』

というふうに言ってるんですね…

つまり自分に何か特別な才能があって、天分があって

それで絵を描いてるんじゃない

そういう才能っていうのは

お兄さんのような人がもってるものであって

自分はただの人である

『ただの人もそれぞれ

かけがえのない自分であることを学んだ

ただの人がますます

ただの自分であるということに

限りなく近づいていくということは

面白いことだった』

そういうふうな立場を

佐野さんの言葉をよんだ上でまた

「100万回生きた猫」を読みかえすと

またちがった色合いが見えてくるような気がしますね…

妹のエピソード

妹さんのエピソードも非常に意味があると思うんですけど

佐野さんが19才、妹さんが12才のときに

お父さんが亡くなります…

そのとき私は、妹が沖縄のペンフレンドにあてた手紙を

こっそり読んでしまうんですね

「父が死んだので、大きなお屋敷を

悪い人に売らなくてはならなくなりました」と

「私は田舎のあばら家に引っ越しするので

犬とも、芝生とも、グランドピアノとも

お別れしなくてはなりません

デザートに焼きりんごを食べることもできないのです」

と書いてあるんです…これ全部ウソなんですね〜

で、これを読んだ佐野さんは

『私は妹の、悲しくも滑稽なホラ話から

創作の原点を学んだ…自分をおそった

現実と悲しみから離れることなく

ロマンスを繰り広げたこと…

虚構の世界を創り上げることで

現実を乗りきること…だからあのとき

妹にとってはそういうペンフレンドに嘘の手紙を書くことが

現実の悲しみを乗り越える唯一の方法だった

だから私はその嘘話を12才の妹のように創りたいと思う』

というエピソードが出てきます…

絵本みたいなファンタジーの世界でも

絶対に現実を無視しては書けない

現実の中からファンタジーが生まれるんだ

そういう平凡でみじめで決して思いどおりにならない…

現実のドロドロとした沼の中に

全身で飛ぶこんでもがくことで真の虚構が生まれる…

それは才能とか天分のようなものが芸術を生むんじゃない

現実を生きてる人間が芸術を生むんだ…と…

まぁそこが佐野さんの創作の原点なんだと

秘密を教えてくれるエッセイですね

Q,印象に残ったのは?

とっても色鮮やかに心に刻まれる登場人物がたくさん出てきますよね!

お父さんが植えたダリアンの畑の中で

神々しいまでの裸体を見せる見知らぬ少女とか

佐野さんが送ったバラの花束を

タバコの火をもみけすようにふみつけたドイツ人のアンジェリカ!

あるいは継母のもってる指輪を

一生懸命見せてくれるマサアキちゃんというお友達とか…

でもその継母はマサアキちゃんの手を

静かにはらいのける…

どれもこれもひとりひとりの人物が映画の一場面のように

ものすごくくっきり浮かんできてね〜

しかもどれも、心弾むシーンじゃないんですよね…

もうどうにもできない切なさ

哀切さがこちらに押し寄せてくるような

そういう人物のオンパレードなんですよね…

一瞬の出来事の中に

その人の心の内の言葉にできないものをがすべて

映し出されるように描き出されること…

佐野さんの言葉によって

私たちは言葉にならない物を感じ取ることができますよね〜

継母に静かに手をはらいのけられたマサアキちゃんがどんな気持ちだったか?

ダリアンの畑の中で裸になった少女がどんな心持ちだったのか?

言葉では説明できない…

その言葉にできないことを佐野さんはちゃんと見逃さずにすくい取ってますね〜

ベルリンの下宿屋のおばあさん

ベルリンで下宿していた先の大家さんのおばあさん

孫娘から嫌われてましてひとりぼっちで老後をすごしています

その下宿先のおばあさんは

「黒い心をもっている人は

黒い心を持っている人がわかるのだ

私もお前も黒い心をもっている」

と言うんですね〜

これはまぁ読んでいきますと

辞書にのっている腹黒いという意味よりももっと色んなものを含んでて

表面だけを取り繕ってごまかせない正直さ…

人間の黒い心を見抜いてしまう鋭すぎる感受性

でも決してそれで声高に他人を避難するわけじゃない…

人間誰でも黒い心を持っているときちんと認めている人だ!

というような意味合いで

この下宿屋の大家さんと佐野さんは

不思議なつながりを結ぶんですね〜

猫の挿絵

猫の絵なんですけれど

どの猫も媚を売ってないんですね〜

わざとらしく、かわいこぶってない…

猫は本来そういう生き物なんですけど

ちゃんと、そばにいる女の子のことを

ちゃんと思ってるんだろうな

というのが伝わってくる挿絵ですよね〜!

このエッセイ集を読んで

もう一度本を読み返すと

この「100万回生きた猫」って佐野さんの

人生観・死生観が濃縮されたエッセンスみたいなものだな〜

佐野さんがお亡くなりになられた今

また読み返すと

「人が死んだらどこに行くのか?」

という誰も答えられない問いを

実は真正面から捉えてる本なんですよね〜

これから50年、100年と

人間が生きている限り

猫が生きている限り

読み続けられる本なんじゃないでしょうか?

私の猫たち許してほしい [ 佐野洋子 ]