江原啓之 おと語り 親との確執について、橋田壽賀子さん「安楽死」について対談など…2017/1/22

江原啓之 おと語り 

2017/1/22

親子といえども人間関係ということを忘れてはいけません

だんだん時代といえども今は超高齢化社会

若い世代と年配の世代との摩擦がすごく表に出ていますよね…

私が基本的に思いますのは人はね…どうしてだか

若い人ばかりではなく、なぜだろうと思うんですが

すべての人ではないですが

高齢の方がワガママになっていると思う

おと語り

なんなんでしょうね…

今の時代の高齢の方々は団塊の世代が多いから

戦争の時代とかね…そういう不自由されてないんだけれども

例えばね…近所の保育園や幼稚園の運動会に

“うるさい”と苦情を言うのが、圧倒的にこの世代なんですよ

ただでさえ待機児童問題がありながら保育園や幼稚園の建設を反対する人たち

土地の値が下がるとかね…

しかも自分の孫だったら可愛いはずなのに、これが人の子どもだったらね…

盆踊りがうるさいからと無音にし

除夜の鐘や年末年始の神社の賑わいがうるさいなどと言う…

昔はそれを風情として捉えて辛抱しながらも世の中の方々に合わせ

文化や風情に合わせて我慢をしていたんですね…

今は、辛抱や我慢が高齢の方達からしてできなくなっているんですね

私は『子どもが危ない!』(集英社文庫)という本を出していて

そこに前から書いているが、この国の在り方は間違いでしょうね

つくづくそんな事を思ってしまうのです

せっかくだから今宵は「親」をテーマにして

みなさんのお悩みに答えて行きたいと思います

おと語り

橋田壽賀子さんと対談「安楽死」問題

余談ですけどね…私「女性セブン」でね…

橋田壽賀子さんのね、安楽死に対して反対、ていうその対談も出たんですけど

橋田さんとお話して、非常に理解できることもあるし

まあ橋田さんだから〜ていうことも結構あるんですよね…

一般の方ではない、やっぱりあの人男みたいに働いてきた人だから

常に覚悟とか、なんか腹くくり…ただね…

お読みになった方も多いから申し上げるんだけど

橋田さんは安楽死を希望してるわけではないんですよ〜

安楽死は最後のお守りとしてて、ベクトルが違うの

生き抜きたい人なのよ!

生き抜きたくなくて、安楽死を希望してるのかとみんな思いがちだけど

そうじゃなくて、パーソナルトレーナーについて必死に運動してたり

最後まで、ピンピンコロリと生きたい!

万が一生き抜けなかったときのお守りが欲しい

というだけのことで…ホントは生きたい

だって世界を旅したい…だって今だにね…船旅とかしてて

だからまた「わた鬼」も書くんですって!

お元気でしょ!?91才ですよ…だけどね…思ったんだけど

私も年を重ねていって気をつけなくてはいけないのは頑固になること…

橋田先生と対談してたらね…素敵な方なんですよ

だけどね…年齢とともにね、余裕がなくなりますよね

ぶれないとはまたちょっと違う…堂々巡りになっていくっていうかね

それでも91才で、大変柔軟な頭のいい方だと思うんですよ!

おと語り

親子の縁を切ると言われ…

あなたは女性…女性だったら簡単に分かりそうなのに

自分の事は見えないのですね…

大体、分かって欲しい時に限ってそうやって反対の事を言うもの

“もう結構です”“いいです。やっときますから”とか…

なぜ母になると見えなくなるんだろう

恋愛もそうじゃないの?みんな…

本当はそうして欲しいのに“いい”“いらない”と

淋しければ淋しい程そういう事をみんな言うじゃない

“本当にいいんだ。ふーん”となると恨みが増加していく…

それが人間の心理

人の口は反対の事を言う事が多い…大体わかってほしいときに限って

反対のこと言ってゴネるんです…要は淋しいのよね

言葉を変換すれば“一番大変な時に側にいてくれなかったくせに…”

ということでしょ?

“いい時ばかり余裕を持ったら来て…

何が受験だ!私は生きるか死ぬかだったんだよ!!”と…

こういうのは全部“民謡だ”と思う事

バカにするのではなく“ハイ~ハイ”と心の中で言いながら

自分の中で“淋しかったの”と変換してみる

そして“ごめんね…ごめんね…本当にごめんなさい”と言っていればいい

“せっかく帰ってきたのに…ウチだって旅費がかかって大変なのに”

という気持ちもあるからなのでしょう…灯台下暗しなのです

 

おと語り

母を亡くし…

“急転直下とはまさにこの事”と言うけれど、何でも人生はすべてそうだと思う

そう思ってないことに問題があると思う…

“またいつでもあるや”

“またいつでも会えるや”と思っている事が問題…

そういうふうに思っていないといけないのと

重なる時は重なるというけれど、節目というのがあるので

よくあるのが、おめでたい事とお悔やみが重なるという事

結婚式と不幸とかね…

だけど、魂の事で言ったならば、不幸な事ではなく、いずれ帰る事だから

穏やかな気持ちになれるというのは

どこかできっと

“この人、生き抜いたんだな”という事が分かっているからですよ

だから、欲を言えばキリがないけれど

悔やみもないというところだと思うんですよ

こういう人生は良いと思うのと、あとは

まさにお母さんの気持ちが伝わっている場合もあるんです

お母さんが“いいんだよ…これで満足なんだよ”と生きてる者も満足…

だから逆もあるんです…私はよくね…

もう泣いてばかりいると亡くなった方がず〜っと引きずられて

ずっと浄化できなくなってしまうって言うんですよ

“うちの母は成仏していますか”と訊かれると

“あなたの心はどうですか?”と訊くんです

そこが比例するんですよ

お互いに悲しみを解き放っていかないといけないのです!

私は思うんですけど

近しい間柄に限ってなかなか分かりづらいものじゃないですか?

親切には他人への方がしやすいんですよね…だから

どこかで子どもは、いくつになってもお母さんでいて欲しい

でいて親の方は

“それだけ立派に育ってきているから少しは分かってよ”

という甘えが出てくるんですよね…

そこに摩擦があるんです

みんな共通している問題…

良い嫁・良い娘でいたい事を押し付けると

こういう悩みになるという事!

本当に相手を愛しているのかというと、自分を愛しているんですよね

だから摩擦が出るんですよ

本当に相手を愛していれば

“お母さん、淋しいんだな…ごめんね”

という余裕があるんですよね!

その摩擦というものは、心育ての為には絶対に必要だと思う

それで大人になっていく…それをしないと

みんなが子どものままになってしまい

辛抱、我慢、協力、協調ができない人間が出来上がってしまう

面倒な事は全部省いてくるという事を良しとしてきた社会の問題

面倒なところでこそ、大切なものを育む事ができるのです…

親しき仲にも礼儀あり

おと語り